2050年カーボンニュートラルの実現は、科学技術に突き付けられた極めて大きな課題です。同時に、脱炭素化のために人々の豊かさや快適性、健康性、産業の発展を犠牲にするのではなく、持続的な成長を実現しながら、より明るい未来社会を構築していかなければなりません。
この複雑な課題を解決するためには、既存の専門分野ごとに高度化してきた技術を、単に組み合わせるだけでは十分ではありません。建築、機械、電気、情報・制御、エネルギー、人間科学などを横断し、異なる物理現象と人間にとっての価値を、共通の原理に基づいて解析・設計できる新たな学問体系が必要です。
私たちの研究グループは、50年以上にわたり、異なる工学分野やエネルギー変換システムを統一的に解析するための理論構築に取り組んできました。その中核となるのが、電気系、機械力学系、熱エネルギー系など、物理的性質の異なるシステムであっても、回路論を共通の解析構造として表現することによって、統一的にモデル化し、解析・設計するという考え方です。
この理論体系は、個別の機器やシステムごとに異なる解析方法を適用するのではなく、エネルギー、物質、運動量などの移動と変換を共通の構造として捉えるものです。これにより、複雑なエネルギーシステムの内部で生じる現象を合理的に記述し、性能向上や最適設計につなげる研究を進めてきました。
また、私たちは理論の構築だけにとどまらず、基礎的な現象解明、実験・計測、数理モデルの構築、機器・システム開発、制御、実証を一体として進めてきました。理論から具体的な技術を生み出し、実際に機能する機器やシステムとして具現化することが、私たちの研究の重要な特徴です。
こうした長年の研究成果は、「合理的システム解析理論」に関する研究として評価され、令和4年度科学技術分野の文部科学大臣表彰において科学技術賞を受賞しました。この受賞は、一つの成果に対する評価であると同時に、異なる工学体系を共通原理によって結び付け、理論と実システムの双方から社会課題の解決に取り組んできた研究の方向性に対する評価であると受け止めています。
現在、私たちは、これまで培ってきたシステム解析理論と熱工学を基盤として、その対象を個々の機器やエネルギーシステムから、人間が生活し、働き、学び、移動する「人間空間」へと拡張しようとしています。そして、建築、機械、情報・制御、エネルギー、人間科学を統合する新たな学問領域として、「人間空間デザイン工学」の構築を進めています。
人間空間には、住宅、オフィス、教育施設、商業施設、工場、農業・食品空間、モビリティ、さらには衣服の内部や宇宙空間まで、多様な形態があります。これらの空間では、建物、機器、エネルギー供給、情報制御、利用者の行動や感覚が相互に影響し合い、快適性、健康性、安全性、生産性など、人間にとっての価値が形成されています。
その中心にある重要な物理現象の一つが「熱」です。熱は、エネルギー消費や温室効果ガス排出の主要な要因である一方、人間の快適性や健康性、生産プロセス、製品品質、食品の安全性など、社会に不可欠な価値を生み出す基盤でもあります。したがって、熱を単に削減すべき損失として捉えるのではなく、どこで発生させ、どのように移動させ、蓄え、変換し、利用し、制御するかを、人間と空間を含む全体システムとして考える必要があります。
人間空間デザイン工学では、熱力学を重要な共通言語として、空間を構成する各要素の相互作用を数理的に記述し、人間にとっての価値と、省エネルギー・脱炭素性を同時に評価します。実験、数理モデル、シミュレーション、デジタルツイン、AI、最適化、制御などを融合し、経験や個別技術の積み重ねだけではなく、共通原理に基づいて人間空間を設計する方法論の確立を目指しています。
研究対象は、需要側の空間だけに限定されるものではありません。再生可能エネルギー、分散型エネルギー資源、水素、電力・熱供給網などのエネルギー供給側から、住宅、業務空間、生産現場、農業・食品流通、モビリティなどの需要側までを一体として捉え、エネルギーと人間空間の新しい関係を設計していきます。
さらに、建物や空間の条件を柔軟に変更できる実験環境、実際の利用状況を模擬する試験設備、各種の計測・解析基盤を活用し、基礎的な現象解明から統合システムの検証までを進めています。実空間とデジタル空間を結び付け、理論、実験、シミュレーションを相互に検証することによって、研究成果を社会実装へとつなげます。
このような研究は、一つの研究室や一つの専門分野だけで実現できるものではありません。大学、企業、行政機関、研究機関がそれぞれの知見と技術を持ち寄り、理論、実験、製品、建物、地域、社会システム、制度をつなぐことが不可欠です。
私たちは、基礎研究から技術開発、機器・システム開発、実証、評価、標準化、事業化、政策提言に至るまで、幅広い段階での連携を進めています。共同研究、コンソーシアム活動、人材交流、実証フィールドの構築、国際連携など、課題と目的に応じた多様な協働の形を、皆様とともに創り出していきたいと考えています。
これまで蓄積してきた理論と技術を継承しながら、その対象を人間、空間、エネルギー、社会へと広げ、新しい学問体系と社会システムを構築することが、私たちの次の挑戦です。専門分野や組織の境界を越え、人間にとって価値ある空間と持続可能な未来社会の実現に向けて、共に研究し、共に社会へ実装していただける皆様との連携を期待しています。
早稲田大学 齋藤 潔